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ガラス溶解用坩堝(ガラスようかいようるつぼ)
名 称 | ガラス溶解用坩堝(ガラスようかいようるつぼ) |
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出土遺跡 | 旧集成館(鹿児島市吉野町) |
分 類 | 土製品 |
年 代 | 近世末~近代初頭(19世紀後半) |
説 明 | ガラス製品を製造する際に、素材を溶かすための容器。内面には黄色の色ガラスが融着しています。出土遺跡である旧集成館は、薩摩藩11代藩主島津斉彬が富国強兵と殖産興業を念頭に進めた近代化事業(集成館事業)の舞台となった場所で、数多くの関連工場群が稼働していました。その中でも、斉彬の父・島津斉興(10代藩主)の頃から進められていたガラス製造の研究は、集成館事業によって結実し、「薩摩切子」として生産が始まりました。しかし、安政5年(1858年)の斉彬死去や文久3年(1863年)の薩英戦争による工場焼失などの影響で、ガラス製造は衰退・廃絶の道をたどります。写真の坩堝は科学分析の結果から、斉彬没後以降、集成館周辺で営まれていた小規模な工房で使用されたものと推定されています。 |
収載報告書 | 鹿児島市重要産業遺跡関係調査報告書(6)2020『史跡 旧集成館』 |